8月10日(土)、11日(日) 午前10時〜午後4時
鷺宮区民活動センター 3階 洋室2号

平成25年度から3年間にわたって行う指定事業「鷺宮文化村」の一環として、「鷺宮国民学校と中島菊夫展」を開催しました。
この事業は、「わがまち鷺宮」の人と風土が織りなす歴史と文化を探求し、わかりやすく伝えていくことを目的としています。地域の多くの方に楽しく取り組んでいただき、人と世代の交流と連携をはかり、地域における支えあい活動への理解促進、新たな担い手の発掘、育成の動きへとつなげていきます。

 中島菊夫は、明治30年生まれの漫画家。高知師範学校卒業後、小学校教員をへて上京。「日の丸旗之助」、「コロコロ太郎」などの作品があります。鷺宮国民学校の教員の際に、疎開先に鷺宮から送った「慰問新聞」や、疎開先で指導した子どもたちの絵などを、中野区歴史民俗資料館から特別にお借りして展示しました。
 猛暑の中、84人の方が見学に来ていただきました。
 

◆中島菊夫の紹介コーナー

 現在の上鷺宮1丁目に在住だった中島菊夫は、終戦前後に鷺宮国民学校の教員となり図画を教えました。
また、集団疎開先である福島県東白川郡竹貫村龍臺寺では、妻の中島さと子とともに子どもたちの指導にあたりました。
 展示の中には龍臺寺で子どもたちと一緒に撮った写真もあり、鷺宮文化村研究会のメンバーも含まれていました。
「これは誰それだ」と名前が判明し、懐かしむ姿が見受けられました。
来場者の方からも、「この写真の子どもさんたちがお元気なことを知り、はるか昔のことだと思っていた太平洋戦争がそう遠くないものだと感じました」という声が聞かれました。 
    
 妻の中島さと子は、江利チエミ主演によりドラマ化された「咲子さんちょっと」の原作者として知られています。
ちょうど歴史民俗資料館で「中島さと子の『咲子さんちょっと』とテレビドラマの世界」展を開催中だったので、ポスターの展示を行いました。
長男の中島靖侃も画家で、SFマガジンの表紙イラストレーターとして知られています。

 来場者の中に中島靖侃に絵を教えていただいたという方がおられ、昭和45年に復刻された「日の丸旗之助」を貸していただくことができました。
 靖侃少年が日の丸旗之助に扮している写真もあり、ほのぼのした可愛らしい内容とともに、中島菊夫を身近に感じることができました。 
 

◆作品展示(展示ケース内)

  ご遺族が中野区歴史民俗資料館に寄贈なさった本物の資料をお借りすることができました。慰問新聞や子どもたちが疎開先で描いた生活絵日記などです。中島菊夫が読みやすく書いた文章や、丁寧に彩色されたイラストがいっぱいの新聞です。鷺宮国民学校の同僚の絵や地域の名所、鷺宮八幡神社の祭礼のようす、飛行機雲が美しかったことなどがありありと描かれ、今でも当時の光景が目に浮かぶようです。
 また良く見ると、一つの号が複数作成されています。鷺宮国民学校児童の疎開先が三か所だったためそれぞれに送ったためでしょうか。コピー機のない時代に、時間をかけて新聞を手描きしている中島先生の姿が思い浮かぶようでした。
 

◆パネル展示
 歴史民俗資料館は、昨年の夏に「中島菊夫と中野の子どもたち」と題する展示を行いました。その際作成されたパネルやファイルも借りることができました。


 
 【慰問新聞】
  「慰問新聞」はふるさと鷺宮のようすを絵で伝え、オリジナルの漫画や挿絵の入った童話が描かれています。また、物がなくても工夫次第で楽しく遊べる、という提案をしたり、図画の指導をしたり、盛りだくさんで思いやりに満ちた内容です。疎開地に赴く前に描いた「学校新聞」、疎開先で子どもたちと一緒に作った「竹貫新聞」も展示しました。
 【生活絵日記】
 中野にいる家族に毎日のようすを知らせるためにみんなで描いた絵日記です。龍臺寺で夜大勢で寝ているようすや、山羊に草をあげている絵などクレヨンで描かれた作品をコピーしていただいたので、実際に手に取って見ることができました。名前の書いてある絵日記も多く、これは誰々が描いたものだという発見もありました。また、絵も字も大変丁寧に描かれていて、中島先生の熱心な指導と子どもたちの真剣さが伝わってきました。

 


 
【隣組新聞】
 現在の回覧板です。中島先生は作成にあたって、文章だけのものではなく読む方の興味を引くように、イラストを入れた隣組新聞を描いています。「愈々出陣」という標題の鷺宮国民学校初登校の日のいでたちや、「ゲートルの巻き方一笑の価値あり」というコメントの絵など、警戒警報の中でもユーモアを忘れないようすがうかがえます。

【鷺宮小学校の資料から】
 今回の展示には鷺宮小学校にも協力していただきました。同校にある資料室から、昭和32年頃の写真パネルと昭和10年代の卒業式などのアルバムをお借りしました。お父さんの写真を見つけて感動される方がいらしたり、当時の道路や祭礼のようすを懐かしむ方が多く見られ、貴重な資料を拝見できるいい機会となりました。 

【サギソウ】
 鷺宮地域の花としてサギソウを育てているサギ草友の会の方々にご協力いただき、写真とちょうど咲いていたサギソウの鉢をお借りしました。文字どおり、展示に花を添えていただきました。

【石井先生を囲む会】
 ・8月10日(土)午後2時〜3時10分 参加者14人
 ・8月11日(日)午前11時〜午後0時10分 参加者25人

石井則孝氏は中野区文化財保護審議会会長、鷺宮文化村研究会の発案者で役員、鷺宮3丁目在住です。中島先生の教え子で、龍臺寺に疎開されていました。中島先生との思い出や、戦時下の子どもたちの暮らしなどを語っていただきました。

[石井先生のお話]
 鷺宮国民学校では、昭和20年3月10日の東京大空襲後、集団疎開を行うことが決定され、福島県東白川郡竹貫村(現石川郡古殿町)龍臺寺、山田屋、辰巳屋の3か所に3月からと5月から疎開が始まりました。私たちは3月20日から8月25日まで龍臺寺に疎開しました。中島先生は厳しいところもありましたが、寮母として赴かれた中島先生の奥様さと子さんはとても優しく、またお寺の方には親切にしていただきました。お寺でのおやつは大豆をいったものと少量の牛乳。牛乳は20回以上噛みました。ノミ、シラミを捕ることも日課になっており、プチッとつぶした感触は今でも残っています。遊んだ記憶は全くありません。竹やりの訓練をしていました。学校には行かず、お寺で勉強しました。鷺宮に帰った時には、栄養失調でおなかがふくれていました。苦労したせいか、世代的に短命な方が多いですね。

 その後、参加者の方々と意見交換を行い、ご自分も苦労された話などが語られました。冷たいお茶を飲みながらの、和やかで楽しい会になりました。